Vol.2 | 俳優・映画監督・イベントクリエイター

「クリエイションが紡ぐ、人と人」小橋 賢児 (前編)

share on

“『勘違い』が手繰り寄せた、俳優という道への扉”

幼少期の頃から、とにかく思ったら即行動に移すタイプ。
当時の僕は両親が共働きで、世間一般でいう“鍵っ子” でした。

8歳の時に高田純次さんが司会を務めていた『パオパオチャンネル』っていう番組を毎週楽しみに観ていたんですけど、ある日テレビの下にテロップで“新レギュラー募集中” って流れて来たんです。

当時、レギュラーという横文字を理解出来なかった僕は、「あっ!この番組観に行けるんだ!」 って観覧希望と勘違いしちゃって、即家にあった10円玉をかき集めてハガキを買いに行ってその住所に自分で応募しました。

後日、オーディションの通知が来て、それを見た母親が「何これ?」 ってなって「観に行きたくて送ったんだよ!」 って言ったら、「これは意味が違のうよ」 って。(笑)

その時、初めて意味を知りました。でも、当時の僕は好奇心から好きな番組を観に行けるのも良いけど、出れるんだったらもっと良いじゃんって思い、オーディションに行きました。それがすべての始まりなので、“勘違い” で送ったハガキが芸能界に入るキッカケになりました。

 

“学ぶ、芝居の在り方”

芸能界に入ったのは良かったのですが、最初は100回に1回くらいしかオーディションにも受かることが出来なくて苦労しました。

両親は共働きで裕福な家庭ではなかったので、中学生ながら新聞配達をしたり原宿のテント村でアクセサリー販売を手伝ったりしていました。今思えば、鍵っ子だったことが原動力の一つだったのかもしれませんね。

そんな中、岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』 のテレビドラマシリーズ『if もしも』の1作品として93年から放送された作品に抜擢されました。監督は子供ながらの僕たちに等身大でぶつかって来てくれて、遊んでくれて、個性を最大限に引き出してくれる優しい方でした。その作品に携われたことにより、岩井俊二監督と一緒にやれたことにより“芝居”の楽しさに気付かさる大きなキッカケになりました。

そのあと出演した『人間・失格』 が社会現象になるほどの人気になって、毎日ダンボールに山積みになるほどのファンレターを頂くようになり、テレビの世界へと一気に駆け上がっていったことを覚えています。

 

“脚光を浴び続けることが、生きるバランスを崩していた”

これまでの自分は、感情に対して純粋に行動することで培われてきました。

だけど、10代から芸能界に入り活躍していく中で、気付いたら人や場所に制約をかけられるようになりました。
芸能人だからと、自分の中では本来会いたい人や行きたい場所に行くことさえ制約され、“芸能人” というレッテルが自分の純粋な感情さえも否定しなくてはいけない。

そして、いつしか自分自信を塞ぎ込むようになり、自分の感情に否定しなくてはいけないことに対して葛藤が生まれていきました。ワクワクする感情に蓋をするって生きた心地がしないんですよね。
忙しい時はドラマを5本連続で熟したり、作品が重なったりもすることもありました。

服を着替えれば優等生役になり、また服を着替えれば不良役になる。

本来、一つの役を演じるのには膨大なインプットを行い、その役を演じることに没入していかなくてはならないはずなのに、気付いたら“ただ感情を変えていくだけ”になっていて、“自分自身”の感情さえもどこかに消えてなくなってしまっていました。

20代半ばに差し掛かかった頃、昔から漠然と男は30歳からが勝負だと思っていて、この先の自分に対して深く考えました。このまま世間が必要としてくれている限り、役者としてはそれなりに活躍も出来るだろうと。ただ、そこには本来の感情ではない自分が居て、それって俺なのかな?俺の人生なのかな?って。そう思うと急に怖くなってきたんです。

 

“『遊び』をアイデンティティの素材にしていく”

ある日クリエイターの友人たちとキャンプに出掛けた時に、大自然の中でワクワクする楽しい話をして、好きな音楽を聴きながらクリエイションは働かせて、「こういうのあったらいいよね、面白いよね」って話をしていたんです。

後日、その友人と偶然会った時に「この間、話していたものをゲームにしたよ」 って言ってきたんです。遊びをクリエイションの材料に変えていくことに、とても驚きと感銘を受けました。

そういう遊び心を大切にしている友人の姿を見て、僕は夕日や星空を眺めて感動することさえしばらく忘れていたことに気付かされました。
そこからもっと沢山のことを知りたいと思い、旅に出る決意をしました。

 

“ネパールで出会った若き青年”

そして全然知らない国に行ってみたいという思いから選んだのが“ネパール”でした。

昔読んでいた『少年アシベ』 に登場する“スガオくん”がネパールから来た少年で、いつも「ネパールの星空はキレイなんだ」って言っているのを思い出して。(笑)

あとは、先輩が「10年前にネパールに行ってよかったよ」 って話しているのも聞いて、その僅かな情報が無かったんですけど、ネパールへ行くことにしたんです。現地に到着し、ネパールの“ポカラ” に行ってトレーキング (山登り) をしました。

トレーキングの最中は、心のリハビリじゃないですけど、蓋をしていた自分の感情が解き放たれる感覚でリフレッシュしました。

 

下山した時、偶然出会った現地の男の子が英語も話せない僕に話しかけてきたんです。

彼の人柄と僕と同い年ということもあり、何となく心が通じ合えてコミュニケーションが取れました。そして彼が家へと招待してくれたんです。

家にはキレイな奥さんと可愛い娘さんが狭い家で暮らしていて、「娘を学校に行かせたいのだけど、お金がないんだ」 って話をしてくれました。

東京で暮らしていると、そういった現実の話は聞いたことがあっても実感は出来なくて。
でも目の前に居る彼は、僕よりもか細くて全然身体も小さいんです。

その後、バイクで丘を登り夕日を見に行ったんですけど、彼の背中を見た時、背負っているものというか、人間の偉大さを感じて、なぜかとても大きく見えたことを覚えています。

その時、“自分の環境”と比べて劣等感を感じて号泣してしまいました。情けないというか悔しかったです。

そんな旅は12日間ほどで幕を閉じ、いつもと変わらない東京の生活へと戻りました。

でも、東京に戻ってきて全てが偽りに思えたんです。

人とかではなく、“この世界すべて”が偽りのように感じました。

 

芸能活動を休業することに決めて、そこから水面下で仕事を徐々に減らしていきました。

そして、とにかく英語を覚えるためにアメリカ留学を決意しました。

 

 

–俳優として、人気絶頂の中での休業宣言。感情に従順に自分を信じた小橋氏。環境を突き動かし、世界を旅して見えたもの、30歳の節目、出会いについて、中編は伺っていきます。

小橋賢児
俳優・映画監督・イベントクリエイター
子役時代より俳優としてキャリアをスタート。ドラマ「人間・失格」(94年TBS系)、映画「スワロウテイル」( 96年)と数々のヒット作品に出演、一躍その名を世に知らしめた。俳優業に留まらず映画監督、イベントプロデューサーと多岐に渡りその才能を発揮する。肩書きという枠に捉われず、感情をアイデンティティへと進化させ続ける。彼の『働きかた』から、これまでの人生を振り返り、仕事、生き方に対する想いを伺った。