Vol.2 | 俳優・映画監督・イベントクリエイター

「出会いの先にある、感情の交差点」小橋 賢児 (中編)

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“コミュニティーが作りだす、新しい価値観”

渡米する1ヶ月前から携帯の電源をOFF って1日20時間近く猛勉強し、誰にも告げず日本を旅立ちました。留学中も出来るだけ日本語を使う環境を避けるため、家族や友人、Web サイトを遮断して、とにかく学ぶことだけに専念しました。

その中で、春休みの1ヶ月の間だけは羽を伸ばそうと、アメリカ大陸を車で横断することにして、留学先の友人たちとともにメキシコ経由からロス、マイアミをまわるというコースで横断しました。

最後に訪れたマイアミでは、“マイアミ・ミュージックウィーク”の期間中ということもあり、かなり賑わっていました。そこで偶然DJ をやっている友人に遭遇して、『“ULTRA”っていう面白いフェスがあるから絶対見に行った方がいいよ』 ってその友人に言われたのをキッカケに足を運んだんです。

晴天に恵まれた会場では、近未来を彷彿させる巨大なステージの中で、最先端のイケてる曲を聴きながら自分よりも若い世代の人たちが、まるですべてを解放されたかのように楽しそうに踊っていました。

そこでは境遇や人種など一切関係なく、「みんな一緒」 という一体感を感じれる空間で、全員が繋がってハッピーになっている今この瞬間はとても素敵だと、感銘を受けました。

その体験をキッカケにイベントに興味を持つようになり、世界中のイベントをまわりました。

 

 

“挫折から這い上がる、30歳の節目に捧げた想い”

日本へ帰国してからは、世界中を旅して沢山のものを見て、沢山のことを経験して自分自信ものすごく成長した気になっていたんです。でも、いろんなことにチャレンジしても全然上手くいかなくて、気付いたら貯金も底を尽き、友人とも口論になることが増え、当時の彼女にも三行半を下され散々でした。そして精神的にも困憊して実家に帰省することを決めました。

家では、ひとり暗い部屋で過ごす日々を送り、鬱状態。おまけに肝機能障害まで患っている最悪な状態でした。

 

このまま病気を言い訳にして楽な道を選ぶ選択肢もあったんですが、最終的に僕はこの節目に生まれ変わるならちょうど良い機会だと思い、自分の誕生日パーティーをセルフプロデュースすることを目標に掲げました。

正直、ちょっとバカなことを目指さないと無理だなって思ったんですよね。(笑)

 

とにかく治療に専念するべく、四畳半のアパートを借りて茅ヶ崎へと拠点を移しました。

海や山を走り、ジムやプールでトレーニングをして、食事にも気を使い、健康的な生活を3か月間続けました。努力の甲斐もあり、これまでにないくらいの良い身体に仕上がって体調も良くなりました。

そして30歳の誕生日を迎えた夜、翌日のパーティーに来てくれる約200人以上の友達や先輩から『おめでとう。明日行くよ!』 ってメッセージを受け取って、お金も何も持っていないんだけど、命があって健康で友達が居ることの素晴らしさを痛感しました。

クサい話なんですけど、ひとり茅ヶ崎の海辺を走り夜空に向かって『みんな、ありがとうー!!』 って、叫んで泣いちゃいました。本当に、あの瞬間は忘れられない経験になりましたね。

翌日のパーティーは、二次会ですぐに潰れちゃいましたけど。(笑)

 

“繋がりは、やがて仕事へと結びつく”

自分の誕生日をセルフプロデュースしたことが今の原型になっています。

当時は場所の交渉からフライヤーの作成、浅草の問屋街で照明器具を調達して会場の細部まで演出にこだわり、イベントの雰囲気作りのため事前登録制とかにして、専用アカウントも作ったりしました。

そうやっていく中で、まわりから『賢児のイベントおもしろいよね』 って反響を呼ぶようになって。

途中からは友人と一緒にイベントを盛り上げていくようになり、200人規模の会場に1000人を超える集客がくるまでに成長していきました。

イベントには今でいう“インフルエンサー” と呼ばれる人たちも足を運んでくれるようになり、企業からのオファーも増えて“Red Bull” さんが主催するシュガーフリーのローンチパーティーや“東京ガールズコレクション” のアフターパーティーなど、これまで手掛けることがなかった大きなイベントにも携わるようになりました。

 

“ULTRAとの出会い”

そんな中、“ULTRA”がアジアに初上陸するタイミングで、“ULTRA KOREA”のボスが日本のパートナーを探していたようなんです。たまたま僕の友人がボスと親友だったこともあり、『おもしろいイベントを手掛けて世界のフェスにも通っている友人がいるよ』 って、僕を多分推薦してくれていたようで。

ある日、突然ボスから『Skypeをしよう』 って、会ったこともない僕に言ってきたんです。
Skype するや否や、『今から3時間以内に日本のDJ を全員ブッキングしてほしい』 と言われました。(笑) かなり無茶振りだっですけど、とにかく知り合いのDJ に電話を掛けまくってブッキングしました。

そこから開催までの約3か月間、今思えばやらなくて良い細かいことまで全てやりましたね。

当日、オリンピックスタジアムで10万人が揺れている姿を目の当たりにして、感動して涙が出ました。そこまで壮大なことをやっている感覚ではなかったんですけど、ものすごく大きなことを成し遂げたのだと実感しました。

しかも、会場にいる大半の人はクラブとかダンスミュージックに興味がある感じではなくて、すごく普通の人たちだったんです。普段は関係のない人たちまでを巻き込んでここまで解放できるんだって思いました。

 

 

–気付きのキッカケの場を作りたい。肩書に捉われない、小橋氏の「働きかた」から垣間見えたこれからの職業の在り方について、後編は伺っていきます。

 

小橋 賢児
俳優・映画監督・イベントクリエイター
子役時代より俳優としてキャリアをスタート。ドラマ「人間・失格」(94年TBS系)、映画「スワロウテイル」( 96年)と数々のヒット作品に出演、一躍その名を世に知らしめた。俳優業に留まらず映画監督、イベントプロデューサーと多岐に渡りその才能を発揮する。肩書きという枠に捉われず、感情をアイデンティティへと進化させ続ける。彼の『働きかた』から、これまでの人生を振り返り、仕事、生き方に対する想いを伺った。