Vol.5 | 写真家「レスリー・キー」マネージャー

「既成概念に囚われない、独自のセレクト目線」鈴木 一成 (前編)

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“将来の夢に消極的だった、少年時代”

地元は山形県で小さい時はずっとバレーボールをやっていました。自分で言うのもあれなんですけど、結構上手かったと思います。ただ、身長が小さかったこともあって高校ではバレーを断念し、新たにスキー部に入りました。山形はスキー場がそこら辺にあるので、身近な存在でしたね。スノーボードにのめり込み込んだのを覚えています。

実家は町に古くからある床屋です。爺ちゃんも婆ちゃんも、両親も床屋を営んでいました。なので、子供の頃に「何になりたい」とか考えたことなかったんですよ。僕は長男なので、家を継ぐものだと思っていたからこそ、本当に1㎜も将来の夢を持ったことがありませんでした。

そんな訳で高校卒業後は、仙台の美容師専門学校に入りました。本当は東京に出たかったのですが、費用の面を考えて隣町の仙台に片道1時間半かけて通うことになりました。仙台にはセレクトショップがあったりして、お洒落な人達が多かったです。僕もお洒落をしたい年頃だったので、楽しい1年を過ごしましたね。

“原宿を練り歩く、独自の就活”

上京はヘアサロンの就職活動がキッカケです。ゆくゆくは家を継ぐつもりだったので、なんの迷いもありませんでした。サロン探しをする中で、雑誌に載ってたりする有名なところは呑まれちゃいそうだなと思い、個人で経営している小さくて居心地の良いサロンを中心に、原宿を1人で歩き回って、飛び込みで就職活動していました。

当たり前ですけど、お店に入ると「いらっしゃいませ。ご予約は?」って言われますよね。とても緊張したのですが、「いえ、今日は就職先を探していて」と勇気を振り絞り体当たりしてましたね。(笑) その時、初めてスーツを着たんですよ。確かブランドはヨウジヤマモトでした。

沢山のサロンに足を運ぶ中で、店に経営者が不在で「そっちに連絡してくれ」と言われるケースが殆どでした。そのうち日が暮れて、疲労も溜まり、もうダメかなと諦めかけた時、偶然通り掛かったサロンで店長兼経営者の方に会えたんです。運良くお客さんが途切れたタイミングだったので、その日に面接もしてもらえて、1週間後に内定を頂きました。

“違和感が紡ぐ、自分なりの働きかた”

そのヘアサロンでは、丸2年働きました。朝から夜遅くまでひたすら真面目に働いたのもあって、ひと通りの業務は熟せるようになりました。その時に美容師の国家試験を受けて免許も取得したのですが、免許を取ってすぐに店を辞めちゃったんです。

理由は、折角東京に来たのにここでしか働かないのは勿体ないと思ったからなんです。更に言うと、美容師でいることに疑問を抱きました。以前は、 「自分=美容師」 と思い込んでいたんですよね。ただ、この仕事がすごく好きって訳でもないけど、別に辛くもないし、働くってそんなもんだと思っていました。

でも、「今は東京でしかできない仕事がしたい。それが何か分からないけど、違う仕事をしてみたい。」そう強く思うようになったんですよね。その反面、家業が継げなくて親に申し訳ない気持ちでいっぱいになったのも覚えています。

“マネージメント業との出会い”

将来は見えなくても、取りあえず食うために働かなきゃいけないので、販売のバイトをしながら次の仕事を探しました。そんなある日、求人広告でマネージメント事務所がスタッフを募集しているのが目についたんです。美容師をやっていたので、ヘアメイクさんや事務所の名前はある程度把握していました。なので、事務所の名前は聞いたことはあったのですが、具体的にマネージャーがどんな仕事をするのかは全く想像つかなかったんですよね。

だから試しに面接だけでも受けてみようと思って行ったら、受かっちゃったんです。(笑) そういった取りとめのない経緯が、僕のマネージャー業としての始まりでした。

マネージメント事務所での仕事は楽しかったです。辛いこともありましたけど、最初の頃は特に全てが新鮮で、芸能人に会えるミーハーな楽しみもあり、ワクワクしてました。山形から上京をして、東京だなって感じていましたね。(笑) レスリー・キーと出会ったのもこの頃です。たまたま同じ時期に入って、初めて担当したカメラマンがレスリーでした。

“原動力に託す、独立というセレクト”

マネージメント事務所には5年在籍して、27才の時に独立をしました。周りにはカメラマンやヘアメイクのアシスタント達がいたでの、彼らと同じ感覚で独立したんです。

彼らは大抵2~3年で独立することが多いので、それに比べると僕は少し時間が掛かりましたが、一般的な職業に比べると早い方ですよね。ただ、独立当初はとにかく必死でした。予算もあまりないですし、1人では動ける範囲が限られるので人を雇いたいのですが、初めて人を雇用するのにも勇気がいりました。会社を作ることで、経理の面や世の中の仕組みをその時初めて知ったんです。経営の知識ゼロで始めたので、一から十まで税理士さんに頼るしかない情況で、都度相談しないと分からないことだらけでした。

僕は根がせっかちなので、早くスタッフを集めて立派な会社にしたいという想いで、当時はとにかくがむしゃらに頑張っていましたね。そんな想いで設立した事務所「SUPER SONIC」に所属してくれたアーティスト達は、少しずつ入れ替わりながらも、その後約10年間事務所の軸として活躍してくれました。

 

–既成概念に囚われることなく、独自のセレクト目線でチャレンジし続ける鈴木氏。「SUPER SONIC」では、アーティストの成長に合わせて、マネージメントのやり方もレベルアップさせ、次のステージに導けるように意識しているという。後編では、そんな鈴木氏に訪れた心境の変化、働きかたについて伺います。

鈴木 一成
写真家「レスリー・キー」マネージャー
数多の著名人の撮影を手掛ける、人気フォトグラファー、レスリー・キー氏。その華やかな活躍の裏には、この人の存在があると言っても過言ではないだろう。古くからレスリー氏のマネージャーを務め、また自身の事務所「Present」を設立した鈴木一成氏。経験により培われた独自の仕事観に迫った。