
「果てない夢が、足元を明るく照らす」 梶原洋平 (前編)
–バンド 「LONG SHOT PARTY」 でサックス奏者として約10年間活躍した梶原氏。現在では、「BIRDMAN」 Technical director として活躍。デジタル・クリエイティブの領域において“魅せるテクノロジー”を仕掛け、最先端と時代性をパラレルにキャッチし、双方をひとつに結ぶインタラクティブな表現は、目にする人、体感する人に驚きと感動を与えてくれる。エンターテイメント業界からインタラクティブ業界。二つの世界を渡り歩いた梶原氏の根底に流れる想いとは?
取材:姥山良子 撮影:田村暢彬 (FABRIC TOKYO)
“唯一無二の個性を育む、「好きなこと」のシナジー効果”
中学生の頃、映画「アポロ13」や宇宙物理の本に感化されて、単純すぎるんですけど“NASA” に行きたいと思って色々勉強してました。数学や物理学が好きだったのですが、子供ながらに相対性理論とか量子力学とか「不思議で面白そうなうえに理論がくっついてきてる」ことに魅了されて、いろんな本をつまみ食いしていました。初めは意味が分からないことだらけでしたが、よく分からない情報も大量に浴びているとだんだん分かるようになってくるから不思議ですね。
ちょっと背伸びして、自分に理解できなさそうなことでも勉強してみる、というのはその頃身についた趣味です。
大学は東北大工学部機械知能系量子エネルギー工学科という、ロボットから宇宙工学、バイオなど先端分野を網羅するところです。さぁ入学もしたし勉強するぞって最中、なぜかバンド『Long Shot Party』 に参加。僕、高校の時ブラバンにいたんです、サックスをやったらモテるかなと思って。大学でもモテたいんでバンドをやろう!と(笑)。
やがて、バンドは全国的に売れ始めメンバーは上京。僕だけ仙台から深夜バスでスタジオに入り、夜またバスで戻って授業を受けるという二重生活が約4 年続きました。
毎週スタジオがあったりライブがあったりと、活動的なバンドだったので、毎週末東京か地方遠征かって感じでした。週末どころか平日にライブも普通にやっていたため、忙しいときは週の半分程どこかに行ってた気がします。本当によく卒業できたなと(笑)。
卒業後は晴れて東京に移り、以降音楽に専念します。これまた単純すぎるんですけど、その時はバンドが楽しかったのでそうしていたという感じです。大学で学んだ事とかその時の音楽活動が、今やってることに繋がるとは夢にも思わず、 ただただ好きだから というほんとにアホみたいな理由でやっていましたね。
“プロデュース業で学ぶ「見せ方の戦略」”
バンドは人気アニメ「NARUTO‐ナルト‐疾風伝」のテーマソングに採用されるなど着実に名を上げていきました。が、2010 年末最後のアルバムを出した後に解散。そのまま気鋭の音楽プロデュース集団『agehasprings』 にディレクターとして拾っていただき、制作やアーティストマネージメント、時にはWebまわりからステージ演出の制御プログラム等、さまざまなことを学ばせていただきました。
メインは制作なんですけど、レーベル業務や新人バンドのマネージメント・制作・現場も担当。加えて新規事業立ち上げのお手伝いやWebにまつわること、アプリ制作など、もう何でもしていました。
とくに、新人のアーティストを売っていく事業は、レーベル業務から戦略、制作まで、全方位やらせていただけたので、いい勉強になりましたね。
どんな楽曲を作って、どんなライブをして、どんなバイヤーさんたちに味方になってもらって、どんな口コミを呼ぶようにして、どんなメディアを使って…等々あらゆるユーザーとの接触ポイントでなるべく効果をあげる必要があるのですが、その辺のノウハウを教えてもらいつつ実戦で試し、楽しくやらせてもらってました。
「何に人はふりむくのか」「ファンになってもらうにはどうしたらいいのか」「そのためのタッチポイントの設計や見せ方の戦略」などは、今の仕事にかなり役立っています。
“デジタル広告の可能性に魅せられて”
そんな中、広告界隈ではプログラミングを使った新しいデジタル表現が盛り上がっていたんですね。「こういうのやりたいな」と思って担当アーティストで試したりしてたんですが、問題は予算。当時制作費は知れているので、やっぱり冒険した大掛かりなことに対してはハードルが高いんです。
でも、広告なら今より大きめなバジェットでスケールの大きいことができるはず。だったら試しに広告業界に移ってみようと思いました。ただ、当時僕は30歳を超えていたので、イチからというより過去にいろいろやってきた経歴を面白がってくれる所がいいなと思って転職しました。
結果、今いる『BIRDMAN』 という変わった会社にジョインすることになった訳です。
BIRDMANはデジタルにまつわる広告制作会社。サイトはもちろん、あらゆるテクノロジーを駆使したイベントや展示を広く手掛けている少数精鋭の会社ですね。
—音楽業界から一転、広告の世界に飛び込み、インタラクティブ・エンターテイメントで再び才能を開花させた梶原氏。後編ではその考え方、働きかたに注目します。