Vol.9 | レストランプロデューサー

「時給650円のアルバイトから、世界中のレストランをプロデュースする起業家に」篠木 清高 (後編)

share on

–飲食ベンチャーの風雲児、ニューヨークに進出。

初めて登ったエンパイヤ・ステート・ビルディングの展望台から、マンハッタンを一望しながら、「僕は、この街で一番になってみせる!」と、その頃は、野心たっぷりでした。本格的にニューヨークに移り住む前に、何度か東京とニューヨークを行き来しながら、出店の準備を始めました。今までなんども自分を助けてくれた、持ち前の体力と根性で、今までもそうだったように、この街でも諦めなければ必ず登りきれると、本気で考えていました。

もちろん、店をオープンするまでも、日本では考えられないくらい、障壁が数多くありましたね。スタッフの問題、言葉の問題、文化の違い、法律の違い、生活環境の違い……。海外で、しかも、ニューヨークで新しいことを始めることの大変さを痛感しました。そんな多くの問題がありつつも、オープンの日にちは迫るばかり……。オペレーションも、完璧じゃない状態ながらも、必死の思いでなんとかオープンまでは漕ぎ着けました。

現地スタッフたちと、意思疎通がうまく出来ない中で、言葉がだめなら、背中で見せるしかないと思い、朝は、誰よりも早くお店に行き、ほとんどの仕込みを終わらせ、スタッフ達が来ると、身振り手振りで少しずつ教えていました。

–体力と根性。そんなんじゃ全然うまくいかない。

オープンから6ヶ月間、1日も休みを取らないで、がむしゃらに働いていましたね。気合と根性を維持しながら、ひたすら孤独と戦っていました。でも、当たり前ですが、そんなんじゃ全然うまくいかない……。とにかく挫折の日々でした。厳しい状況は、なかなか抜け出せない。多少ニューヨークの環境に慣れて来た2年半後、努力の甲斐もなく、閉店することに。これはもう、完全なる僕の力不足でしかありませんでした。一言では表現できませんが、今までの人生で一番辛い出来事でした。

それでも救いだったのは、閉店間近の最後の3日間、連日満席で、常連のお客さんもたくさん来てくれました。それに、本当に嬉しかったのは、お店のスタッフたちには、閉店の1ヶ月前に告知したにも関わらず、全員辞めずに、最後まで一生懸命、一緒に働いてくれたんですね。これには本当に胸が熱くなりました。悔しい思いと、感謝の気持ちの両方を抱きながら、僕のニューヨークへの挑戦の第1幕は閉じた訳です。

しかし、その閉店の夜、「このままケツまくって日本に僕は帰るのか?」と、自問自答を繰り返していました。このままニューヨークを離れてしまうと、きっとこの街に一生戻って来ることが出来なくなるし、何よりも、日本に帰ってぬくぬくと暮らすなんて選択をしたら、僕の人生は、負け犬としてこのまま終わってしまうような気がしたんです。そして、僕はニューヨークに残り、大好きな料理に関わる仕事で独立することを決心しました。

–失敗という貴重な経験。

独立を目指したのはいいけど、どうしても”失敗した”というレッテルを、自ら払拭することが出来ない日々が続きました。辿り着いた答えは、僕がした失敗経験を逆に活かして、日本から来る、次なる挑戦者たちにアドバイスできれば、役に立てるし、自分が食べれるぐらいは、なんとかなるかもしれない。という考えでした。まさに失敗は成功のもと(笑)。

挫折した人だからこそ、伝えられることがあると思うんです。クルマの運転も、事故経験のある人の方が、その後の事故率は、グンと低くなるわけです。その年に、『A&K RESTAURANT CONSULTANTS(エー・アンド・ケイ・レストラン・コンサルタント)』を立ち上げました。そこから、レストラン・コンサルティングとして、様々なクライアントの出店や、ブランドづくりをサポートしてきました。

料理をクリエイションすることはもちろん、数値も含めて、今まで経営全般の仕事をしてきた経験が、ここでは大きく活かされました。そして、コツコツと小さな成果を積み重ねていくことで、ニューヨークで人気になっていくお店が、徐々に誕生したりして……。僕の”失敗”という貴重な経験が、クライアントさんの役に立っている。という手応えを感じるようになりました。これは、本当に嬉しかったですね。

 

–人生を変えた、”あそび人”たちとの出会い。

コンサルティングとしての仕事が、軌道に乗りはじめた頃、『PLAY EARTH(プレイ・アース)』という、”地球を思い切り遊ぶため、世界中の面白い場所にアジトを創る”というプロジェクトをやっている、高橋歩さん、奥原悠一さんと出会ったことで、人生は変化して行きます。

「キヨと一緒にやりたい!」という、まっすぐな言葉に動かされ、彼らがニューヨークに出店準備を進めていた、紹介制のレストラン、『BOHEMIAN NEW YORK(ボヘミアン・ニューヨーク)』の代表に就くことになりました。順調だったコンサルティング会社は、この、BOHEMIANの成功に集中するため、一時休止。また、一つのお店を任される責任者として、改めてニューヨークで勝負を挑むことになりました。

結果、このお店は、様々なメディアでも取り上げられ、ローカルの方々や著名人なども数多く訪れてくれて、10年経った今でも、3週間先まで予約が取れない人気店として健在。今では、コンサルティング事業も再開し、世界中の様々なパートナーたちと一緒に、新しいレストランビジネスを展開しています。

2012年からは、僕がニューヨークで学んだことを、日本へ逆輸入した、「BROOKLYN RIBBON FRIES(ブルックリン・リボン・フライ)」というクラフトマンシップを中心にした、フライドポテトとジンジャーエールの、ショップ&ファクトリーをスタートさせました。

 

–日本の居酒屋文化は、自由世界のターミナル。居酒屋から”IZAKAYA”へ。

2016年は、また新たな展開として、「TakuMen(タクメン)」という、ジャパニーズレストランを、パートナー達と一緒に、ニューヨークに出店しました。それは、僕がニューヨークの街と、日本の”居酒屋文化”が、リンクしていると感じたところから始まりました。

日本の居酒屋のメニューには、ピザがあって、刺身があって、中華があって……。ドリンクは、ワインもあるし、焼酎や日本酒なども飲める。とにかく多種多様の飲食が、自由に楽しめます。それは、日本の食文化のターミナル的な役割。『人種のるつぼ』と言われるニューヨークも同様で、世界の食文化が混じり合いながらも、絶妙のバランスで成り立っている、まさに自由世界のターミナル。だから、居酒屋文化は必ずニューヨークでも定着する。という確信がありました。

この、TakuMenでは、朝8時からカフェをやっています。居酒屋なのに(笑)。ブルックリンのコーヒーロースター、「PARLOR COFFEE(パーラー・コーヒー)」や、全米で人気急上昇の「MACTHA BAR(マッチャ・バー)」の抹茶ドリンクともコラボレーションしています。自由な発想で集めたフードカルチャーの、セレクトショップといった感覚ですね。

日本でいう居酒屋とは、ブランディングやデザインも、ぜんぜん違います。もちろん、料理も違って、僕なりの解釈で、居酒屋っていうものを作りあげています。それはまさに、アメリカで生まれる”IZAKAYA”です。今はそんな自由な、IZAKAYAカルチャーを、世界中に広めることに面白さを感じています。

 

–”人の温もりを感じることのできるものづくり”は、資本主義へのアンチテーゼ。

近年では、世界的なメガカンパニーでも、大量生産・大量消費などの、資本主義経済の歪みに対する、アンチテーゼを掲げていないと、時代錯誤と言われるようになりました。温故知新のように、昔の文化を再構築して、リブランディングしている動きもたくさん見受けられるのが、すごく良いですよね。しかも、若い世代の人たちが、これに積極的に行動している。現代のテクノロジーも器用に使いこなしながら、”人の温もりを感じることのできるものづくり”が増えて来ているのは嬉しいですね。

この、『FABRIC TOKYO(ファブリック・トウキョウ)』も、大量生産じゃなくて、オーダーメイド・スーツブランドとして、モノづくりを極めていこうという感じが、例えば、サード・ウェーブ・コーヒーのカルチャーと同じように感じます。しかも、生産背景がちゃんと見えている感じが、とても重要ですね。

 

–面白いを、夢中に探求し続けている人が最強。

これからも今まで同様に、目の前の、”ただ面白い”と思ったことをやってくと思います。それは、飲食の枠にとらわれず、たくさんのことにチャレンジしたいですね。とにかく自分のココロが素直に面白いと思うことを、一瞬でキャッチできる人でずっといたいと思っています。

世の中には、様々な仕事があります。どんな仕事でも、一生かけて取り組むような魅力があると思います。僕にとってはそれが、フードビジネスですね。天職です。僕は、一つのことを夢中でやっている人が好きですね。やっぱり、夢中で行動している人はパワーが違います。そこには求心力があって、どんどん仲間が増えていくイメージ。最初思い描いていたことは、夢中になればなるほど、どんどん進化して行くのも面白いですよね。

僕は、最初から大きな夢があったわけではないし、野心があったわけでもない。ただ、自分が作った料理で喜んでくれた人が眼の前にいて、それに僕の心が猛烈に反応する。面白いって。きっかけは些細なことで良いんです。人生勝ち負けじゃないかもしれないけれど、僕はその、”面白い”と思ったことを、夢中に探求し続けている人が最強だと思うんですよね。

 

篠木 清高
レストランプロデューサー
埼玉県川口市生まれ。地元の農業高校の食品科学化を卒業後、中華料理東天紅に入社。後に橙家銀座店の総料理長に就任。「CHANTO NEW YORK」の出店に伴い、28歳で渡米。その後、NYでレストランのコンサルティング会社「A&K RESTAURANTS CONSULTANTS」を設立。高橋歩率いる「PLAY EARTH」がNYにオープンさせたレストラン「BOHEMIAN NEW YORK」の代表も務める。昨年、同じくNYに日本食居酒屋「TakuMen」をオープン。小さな頃から変わらぬ夢を実現させ少年のように真っ直ぐ世界を突き進む彼の半生を伺った。