一生を、サッカーだけで終わらせない
STORY
# 38

一生を、サッカーだけで終わらせない

元サッカー日本代表
大久保 嘉人(おおくぼ よしと)

日本代表としてアテネオリンピック、ワールドカップ南アフリカ大会、ブラジル大会に出場し、J1リーグでは最多得点記録を持つなど、日本サッカー史に残る活躍をしてきた大久保嘉人さん。2021年の現役引退後は、テレビやラジオなどメディアに活躍の場を移し、新たな挑戦を続けています。

サッカー選手として誰もが名を知る大久保さんですが、意外なことに「一生をサッカーという世界だけでは終わらせたくない」と言います。”サッカー選手”をひとつの仕事だったと捉える大久保さんが次に向かうのはどこなのか?大久保さんの人生観・仕事観を紐解きます。

“好き”よりも、 ”やらなきゃいけない”使命感

小学生の頃にサッカーを始めたのですが、それ以前は母親や姉に混じってバレーボールをやったり、野球や合気道もやってました。 そんな中、当時始まったばかりのJリーグを見て「サッカー選手になったらお金がもらえるんだ」と思って「次はサッカーをやってみたい」と、率直に両親へ伝えたんです。そんな移り気な自分に父親は「今回は6年生まで絶対にやめるなよ。やめないならやってもいい」と。父はとても厳しかったので、「絶対やめないから!」と言って始めた手前、もうやめられないじゃないですか(笑)

正直なところを言うと、色々なスポーツをしてみた中でサッカーが一番好きだったか、と聞かれても当時はルールさえ知らない状態で始めたので、どれが一番好きだとかいう次元の話でもなかったです。

始めたばかりの頃は、友達もたくさんいましたしそりゃ楽しかったですよ。でも5年生くらいの時は、元々飽き性なのもあって「もうやめたいな」と思って、黙って練習を休んだりしたこともありました。すぐに見つかって連れ戻されるので、結局いやいや行っていたんですけどね。

小学生の時の大久保さん。北九州近県の少年サッカー大会にて。

小学生の時の大久保さん。北九州近県の少年サッカー大会にて。

それでも続けられていたのは、「親から褒められたい。認めて欲しい」という気持ちがずっと強くあったから。幼少期からずっと、自分の親は本当に褒めない人でした。小学生ながら「試合で勝たなきゃ。活躍しなきゃ」と思っていましたし、その気持ちがあるから、最終的に本当にサッカーをやめるとはならなかった。

それに父親には小さい頃から「お前はサッカー選手になれなかったら他に仕事ないよ」と言われて育ってきたので、「サッカー選手になれなかったらどうなってしまうんだろう」という恐怖もあり、「絶対にプロにならないと!」と思っていました。 だから始めた頃から「プロになって稼ぎたい」という明確な目的がありましたし、「好きかどうか」よりも「やらないと」という使命感の方が強かった。

​​そうやって続けていた結果、当時すでに自分は九州の地域では頭ひとつ抜けた存在になっていました。九州選抜にも選ばれていましたし、それで全国に遠征なんかも行っていました。ただ全国大会で関東のプレーヤーと戦ったら歯が立たず、自分の立ち位置を思い知らされたりもしましたが。

中学生になると、サッカーの強豪校に通うために親元を離れたので、お金を出してもらっていることや、そこまでして自分を応援してくれていることに申し訳ない気持ちでいっぱいで。 やめて家に帰りたいと思うこともありましたが、両親のことを考えるとそれはできなかった。「ここまでしてもらっているのだから、頑張らないと」と。

プロ入りが決定した時も、父親から言われた言葉は「図に乗るな。Jリーグで名を刻め」でした。やっぱり褒めてくれなくて、でも振り返ると、引退までその父親の言葉に突き動かされてきたのかもしれません。

結果として他の仕事の選択肢は考えたこともなく、サッカーがライフワークになっていました。

自信と不安を常に共存させる

ただ、プロ1年目はなかなか思うような結果も残せずに自信もなく、それがまたプレーにも影響して、悪循環になっていました。

そんな状況から抜け出す転機が訪れたのは、2年目のときです。当時はまだ控え選手で、あまり試合にも出場していませんでした。そんなときに、たまたまレギュラーのFWが全員怪我して、ポジションが空いた。ここで結果を出さなければ、次の試合からその選手達は復帰してくる。「ここで活躍しないとクビになる」と考えました。まさに背水の陣。

でも自分の気持ちを奮い立たせて臨んだその試合で、なんと2点も得点できたんです。そこからスタメンになって、結果も残せて、その年の得点王争いにも絡みました。あの1試合が、僕にとって一気に自信に繋がったんです。あそこで自信を得られなかったら、今の自分はどうなっているんだろうな、と思いますね。

それ以来、自信をなくす、鼻を折られるっていう経験はしたことがないです。折られてるかもしれませんが、気づいていないのかな(笑) うまくいかなかったら、原因を考えてひたすら練習をする。シンプルなことです。失敗しても、くよくよしないで「終わったことだから」と次の準備をしていく。そして本番でまたトライして、成功すればまた自信がつく。このループをつくって自信をもって本番に臨む。

引退までサッカーというひとつのことを続けてこられたのは、こういった積み重ねによって「こんなプレーができる」「きっと活躍できる」といった自信をつくってこられたからだと思います。学生の頃やプロになりたての頃は全く自信がなく、なかなか自分の考えを発言することもできないし、プレーも縮こまっていました。

ただ、不安がなくなったかといえばそうではありません。常にあります。不安は必ずもっておかなければだめで、少しでもないと「やらなければいけない」っていう気持ちが湧きませんし、自信過剰になって空回りすると思うんです。僕は、この”自信”と”不安”が共存している状態を保っていくことが、仕事をしていく上では重要だと考えています。

一生を、サッカーだけで終わらせたくない

引退を決める何年か前から考えていましたが、人生一度きり。世の中色々な仕事があって、ジャンル問わず様々なことに挑戦したいんです。 今までサッカーしかしてこなかったから、他のことはわからないのですが、それだけで一生を終わらせたくない。だって、もったいないじゃないですか。

今は活動の場を、テレビを中心としたメディアの世界に移していて、これからはこの業界でチャレンジしていきたいなと思っています。 テレビには選手時代から出させていただいていたんですが、当時からこの仕事を好きな気持ちはあったのかなと思います。嫌だったら出演しませんしね。

引退してから約半年が経ちましたが、最近はスポーツ中継や番組の解説以外にも、バラエティの出演なども多く、ありがたいことに忙しくさせていただいています。今までは家でテレビを見ていても、何も考えずに楽しむだけでしたが、最近は出演者のコメントやリアクションを気にするようになりました。「こんな言い回しいいな」とか「こういうテンポだと面白いな」とか。新人ですから、日々勉強です。

月替りMCを務めた番組『みんなのスポーツ(テレビ東京)』の撮影スタジオ。

月替りMCを務めた番組『みんなのスポーツ(テレビ東京)』の撮影スタジオ。

実は僕、坂東英二さんのことを”ゆで卵の人”だと思っていたんですよ(笑)ゆで卵好きキャラのタレントさんだと。元野球選手だというのは後から知ったんです。日本史に残る記録をもっている元アスリートなのに、タレントとしての立ち位置も確立している。坂東さんはひとつの例ですが、それくらいサッカーとはまた別の場所で活躍の場を広げていきたい。 理想は、テレビで僕を知った人が「大久保ってサッカー選手だったの?」って思ってくれることですね。

選手を引退して次の主戦場をテレビにすると決めたのは、そもそもの欲として「有名になりたい」という気持ちが根底にあったからだと思います。サッカーをしていた時からずっとその気持ちがありましたし、子どもの頃って誰しもが思うんじゃないかな。「すごいね!」とか「テレビ出てるの見たよ!」とか言われたら嬉しいっていう(笑)それがずっと自分の中にあるんです。

新たな自分と、寄り添う服

チームにもよりますが、選手時代はアウェイの試合などの移動で、スーツを着ることが多かったです。手入れや準備、着替えなど正直少し面倒臭いけど、現地にスーツで入るとやっぱり引き締まる。「よっしゃ行こう!」って思います。服装によって気持ちが切り替わりますよね。

最近はスーツを着る機会はそんなに多くなくて、解説の仕事の時くらい。テレビ出演の際はスタイリストさんにお任せしたり、私服で出ることも多いですよ。でも私服ってなるとパターンが決まってきてしまうので、着回しの利くアイテムが欲しいなと思って、今回は楽に着られるストレッチ素材のセットアップと、インディゴのチノパンをオーダーしました。スーツほど硬すぎず、でもカジュアルすぎないので活躍の幅が広そうですね。

メディアの仕事ではやっぱり自分のたたずまいや服装そのものが、印象の大きな要素になってきます。今はまだ、どう見られたいというキャラクターが定まってる訳ではないので、これから模索していきたいですね。

僕は今、新しい挑戦を始めたばかり。「大久保がサッカー引退」と聞くと”終わり”をイメージするかもしれませんが、自分にとっては第二章の”始まり”なんです。新しいステージでたくさんテレビに出て、サッカーとは別の場所で有名になっていきたい。常に自分を信じて、挑戦を続けていきたいです。

文:海達亮弥・井上南 / 写真:新井裕加 撮影協力:テレビ東京

PROFILE

大久保 嘉人

大久保 嘉人(おおくぼ よしと)

元サッカー日本代表

1982年6月9日、福岡県生まれ。国見高校3年時に高校三冠を達成。自身もインターハイ、高校サッカー選手権で得点王を獲得。2001年セレッソ大阪でプロキャリアをスタートし、スペイン、ドイツなど海外リーグで活躍。川崎フロンターレ在籍時の2013年~2015年には、史上初となる3年連続Jリーグ得点王に輝く。2021シーズンをもって現役を引退。J1リーグ最多得点記録保持者。日本代表としてアテネオリンピック、FIFAワールドカップ南アフリカ大会、同ブラジル大会などに出場。引退後は、テレビやラジオに活躍の場を移し、サッカーに限らず様々なジャンルで新たな挑戦を続ける。


編集後記

どんなことにも動じずに、常にどっしりと落ち着いてらっしゃる姿は、やっぱり世界を見てきた人なんだと感じさせられます。しかし誰にも飾らない性格で、テレビ東京のスタジオでの撮影も馴染みのスタッフさんと雑談をするなど、どんな場所でも人の輪を広げられているのを目の当たりにしました。 最近よく行くというゴルフのスイングを見せてくださるなど、取材前日から緊張しっぱなしだった私も、楽しみながら取材をさせていただきました。

インタビュー / FABRIC TOKYO 井上 南

ラフすぎず硬すぎずのセットアップ兼用のジャケパンスタイルがご希望だったので、セットアップの素材は上品な光沢感がありながらリラックス感のあるジャージ素材に。チノパンはどんなコーディネートにも汎用性が高いデニム風の素材をセレクトしました。 ジャケットのシルエットはほど良いゆとりがありながら、前ボタンを開けてラフに着用してもスッキリ見えるよう、丈感と腰回りをタイト目に仕上げました。パンツに関しては、お尻と太ももの筋肉がしっかりされているので程よいゆとりを持たせながら、裾周りを絞ったテーパードシルエットに仕上げました。程よくトレンド感もあり様々なスタイリングをお楽しみいただけると思います。

採寸者 / FABRIC TOKYO 佐藤 陽太

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